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加美町百選

No51 内出道満塚(うちでみちみつ)(どうまんづか)
・場所:宮城県加美郡加美町下新田字原田 大祥寺
・説明:加美町指定史跡 昭和53年
    1588年(天正16年)2月の大崎合戦の時に、大崎家臣の下新田城の武将内出道満は、寒さに耐えかねて宇岐須神社に火をつけた伊達軍の暴挙に憤り、敵陣に切り入り、壮烈な戦死を遂げました。
2014.4.29


2014.4.29




No52 上多田川館跡
・場所:
・説明:


No53 狼塚城址
・場所:
・説明:

 

No54 中新田城址
・場所:加美町北町
 14世紀中盤、大崎家の始祖である斯波家兼が中新田に来て本拠地としました。戦国時代は大崎義隆が古川市の名生城に移ってから南條隆信の居城となりました。1588年の大崎合戦の時には攻めてくる伊達軍に対し、南條隆信がこの城でろう城、不利な状況下で見事に伊達軍を打ち破りました。この城が突破されると大崎軍の本拠地、名生城に攻め込まれることになるので大崎家を守った武将ともいえると思います。

 





 

No55 宇岐須神社/道満橋/伊達塚
・場所:宮城県加美郡加美町下中新田字上石川97-1
・説明:







No56 河岸端(かしばた)
・場所:宮城県加美郡加美町字四日市場
・説明:宮城県の中央部を流れる川。延長89Km。流域面積1130平方Km。
 山形県境の船形山北麓に発し、漆沢ダムを経て、松島丘陵を横断して東松島市で石巻湾に注ぐ。
 河川沿いは、古くは多賀城と出羽国とを結ぶ重要な交通路であり、仙台藩時代には河口から加美町四日市場まで舟運があり、大崎市三本木や加美町などの河港には本穀所や蔵などが置かれた。
 鳴瀬川の船使の終点




 
 

No57 最上街道 軽井沢御番所跡
・場所:
・説明:
 
田代番所跡
・場所:
・説明:
 
 



 

No58 東山官衛遺跡
・場所:宮城県加美町鳥嶋字寺前
・説明:奈良、平安時代に加美郡を納めていた役所跡
  




No59 城生柵跡
・場所:
・説明:


No60 菜切谷廃寺跡
・場所:宮城県加美郡加美町菜切谷清水
・説明:奈良時代の仏堂跡でおそらく玉造棚附属の寺院の跡と推定される。多賀城跡・多賀城廃寺跡から出るものと同じ瓦が出土
 宮城県県指定文化財

 

No61 西光寺 馬頭観音堂
・場所:宮城県加美郡加美町宮崎字坂下一番40
・説明:観音堂 文政十二年(1819)建立
     天井図、三手先斗組が見事
山門


本殿


馬頭観音堂




No62 瑞雲寺 山門
・場所:宮城県加美郡加美町字北町二番201
・説明:
瑞雲寺山門、応仁元年(1467)建立、明治35年の大火で焼失後、大正13年に再建宏壮な本堂、彫刻の美しさと山門の豪華さが人目を引く。
 曹洞宗龍護山瑞雲寺は、應仁元年(1467)七北田山の寺洞雲寺を本尊とし、西河原寺渕に開寺、度々の水難の慎れがあったので文化9年(1812)現在地に開山、明治35年(1902)4月30日大火に遭う昭和54年80年を経て全て再興した。







No63 龍川寺 山門
・場所:宮城県加美郡加美町字町屋敷30-3
・説明:楼門
山門


 

No64 薬来神社 社門(大宮寺山門)
・場所:宮城県加美郡加美町字上野目大宮7
・説明:737年創建
 山号を「薬莱山」と称し医薬の守護、病難退散、壽福招幸の守り神として東北・関東地方より信仰される。
 社門:三ツ脚門・七ツ脚門と呼ばれる。
 加美町有形文化財
社門(大宮寺山門)




 

No65 飯豊(いいとよ)神社
・場所:宮城県加美郡加美町字麓山30
・説明:小野田町の鳴瀬川右岸に鎮座し、大石を御神体として祀っているので、石神さまと親しまれています。
 加美郡最古の作神です。
 慶雲2年(705年)巨勢麿の勧請
 例大祭:4月12日、9月12日
2005.4.29


2005.4.29



 

No66 賀美石神社・大王様の大杉
・場所:宮城県加美郡加美町谷地森字根岸91
・説明:境内には、賀美石神社の旧社地にあった神座石があります。



拝殿



神座石


町指定 大王様の大杉



 

No67 鹿島神社
・場所:宮城県加美郡加美町宿
・説明:地元では、かしまさまと呼んでいる。
    神木:杉2本



古社三社有りと言われ、鹿島、香取、 宇伎須が 鳴瀬川をはさんで鎮座してる
常陸の鹿島神宮が利根川をはさんで鎮座してあるのを模した。


隋身門




 拝殿





 

No68 へっぴり塚古墳群
・場所:宮城県加美郡加美町菜切谷字塚前 Yahoo地図
・説明:兵引塚 ・平兵衛塚 ・平七塚が語源とされた。
 

No69 北向きの墓
・場所:加美町平柳
・説明:
 






No70−1 小山田筑前の墓
・場所:加美郡加美町四日市場 Yahoo地図
・説明:1588年中新田戦争の折、伊達軍の侍大将として出陣し、敗戦で総退去となった時しんぎりを努め敗戦し討ち死にした。





 
 No70−2 浜田伊豆景隆の墓
・場所:加美郡加美町柳沢字浜田 Yahoo地図
・説明:浜田景隆は伊達政宗に仕え、人取橋、摺上原の合戦など各地を転戦し、伊達家の智将としてその名をとどろかしていた。
 1591年大崎一揆鎮圧のため伊達政宗は軍勢1万余りを率い宮崎城を攻めた。
 この戦いで浜田影隆(38歳)は城からの鉄砲で討ち死にした。
 遺言により甲冑を着けたまま城の方向へ向かって立った姿で埋葬された。


No71  句碑・歌碑・詩碑
松尾芭蕉/長興寺
・場所:宮城県加美郡加美町字北町二番202 長興寺 Yahoo!地図

枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の暮
 句意:秋の夕方、一羽の烏が枯枝にとまっている
 これはいかにも秋の暮れらしい景物だ。
 年 秋田吉川五明門吾長房 建立
2010.5.6



高橋 たみ(たかはし たみ)/長興寺
・説明:涌谷生まれ
辞世句碑
後になり 先になりして 茄子の馬
 句意:
 季語:茄子の馬(なすのうま)初秋
 茄子や瓜で作る牛や馬のこと。盂蘭盆会の魂棚に飾る。祖先の霊がそれにのって訪れ、それにのって帰ってゆくとされる。
 昭和54年 1979年 高橋文子 建立
2013.5.5



工藤 幸一/薬来山登山口
・場所:宮城県加美郡加美町字味ケ袋薬莱原  Yahoo!地図
・説明:大正6年− 加美町小野田生まれ

薬莱の 山ここに立つ 低くも さびしからなく つらなり合へり
 歌意:
 昭和48年 北東風他 建立
2011.10.12


 

倉沢 いもせ(くらさわ いもせ)/瑞雲寺 
・場所:宮城県加美郡加美町北町 瑞雲寺  楼門の右手の奥まったところ Yahoo!地図
・説明:明治14年−昭和31年 76歳 大崎市岩出山生まれ 倉沢家に嫁ぐ
    中新田の川柳の母
 
曲げられて なほ強くなる 弓の自負
 句意:
 昭和31年  1956年 倉沢家 建立
2013.5.5


 
 鹿島神社
 ・場所:宮城県加美郡加美町四日市場  Yahoo!地図
昭和天皇 御製

天地(あめつち)の 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たゝぬ世を
 歌意: 
 昭和八年歌会始
 平成18年 遠藤榮一、遠藤きよみ、遠藤友子 奉納
2013.5.5




No72 おものめ様/鹿島神社
・場所:加美郡加美町四日市場屋敷7
・説明:大蛇の化身に恋した娘
 昔、加美町四日市場元宿に一人の美しい娘が住んでいました。 いつの頃からか、この娘のところに一人の若い男が通うようになりました。その若者はこの世のものとは思われないほど美しい面立ちでした。そして二人の仲は、日増しに深くなるばかりでした。
 娘の家には年老いた一匹のガマが住みついていました。
 そのガマは娘のところに通ってくる若者は、実は大蛇の化身であることを知っていました。
 そこで、ある時娘にそのことを知らせ、若者とつきあうのをやめるよう忠告しました。
 けれども、恋におぼれて夢中になっていた娘は、忠告を聞かなかったばかりか、ついには若者の子を身ごもってしまいました。

 ガマは娘のことを気の毒に思い、「私の言うことを信じないのなら、今度若者が来たら着物のすそに糸を長くつけた針を通しておきなさい」と娘に言い聞かせました。
 娘は半信半疑でしたが、忠告に従うことにしました。
 そのことがあってから、若者は娘のところへ通って来なくなりました。
 驚いた娘は、何日も夢中になって若者を探しました。
 そして、とある山道にさしかかった時、目の前に若者の着物につけた糸を見つけました。
 その糸をたぐって行くと、ある老木の根元のほら穴の中に入っていきました。
 ほら穴の中を探ると、そこに大蛇の死骸が横たわっていました。
 それは、あの若者に化けた大蛇だったのです。
 娘は嘆き悲しみました。
 そして家族や世間にわびて、せめて多くの若い人々のために良い縁が結ばれるよう縁結びの神として奉仕したいと言い残し、近くの沼に身を投げました。
 村人はこれを哀れんで供養し、縁結びの神としてまつりました。
 文参照:鹿島神社
HP
2013.5.5
 


 

No73 やくらい高原マラソン大会
・場所:やくらい高原
・説明
 やくらい山麓の緑豊かな自然の中を10km、5km、2kmの区分で走ります。豚汁の振る舞いや豪華商品が当る大抽選会も開催されます。
・開催日:平成27年9月27日(日)
 

No74 熊野神社 熊野神社例祭
・場所:宮城県加美郡加美町宮崎
・説明:1320年勧請、紀州から移民した開拓農民が故郷の氏神を祀るため、紀州の本社から御分霊を受け祀った。



熊野神社例祭

写真パンフレットから
 

No75 陶芸の里春まつり

日時:5月3日10:00〜16:00
・場所:加美町陶芸の里
・内容:陶芸の里広場ほかを会場に、陶芸体験、魚のつかみ取り、郷土芸能の披露、地場産品の販売など、家族揃って一日中楽しめるイベントが目白押し
・文参照:宮城観光連盟HP


 

No76 やくらい春まつり
・日時:2009年は5月4日(火)10:00 〜 14:00
・場所:加美町 薬来高原特設会場
・内容:薬莱太鼓、田植え踊り、小野田甚句など郷土芸能や歌謡ショー、カラオケ大会、薬莱山1,000人登山、フリーマーケットなど
・文参照:宮城観光連盟HP
2005年

 

 

No77 初午まつり火伏せの虎舞
・日時:毎年4月29日
・場所:加美郡加美町(中新田地区)花楽小路商店街
・内容:約650年以上の歴史をもつ行事で、火難除けを祈願する意味が込められている。
 町内を山車(ダシ)が練り歩き、また、火伏せの虎の勇壮な舞が繰り広げられます。
・指定:昭和49年宮城県無形文化財指定
 文参照:加美町HP
 





 

No78 あゆの里まつり・あゆの里公園
・場所:加美町城内
・説明:8月13,14の2日間、鳴瀬川河川敷あゆの里中央公園で開かれる


 

No79 ふれあい冬まつり&うめぇがすと鍋祭り

・日時:2月第1日曜日 (16年は2月11日)
・場所:加美町花楽小路
・内容:中新田の誇りとする美酒を町内外に広く伝えたいと開催。当日は酒蔵見学をしながら、地酒の製法と舟口の味を堪能できます。
 産業振興まつり「うめえがすと鍋まつり」も同時開催。地場産野菜を使った地域独特の鍋料理、創作鍋など、ユニークな鍋が振る舞われます。
 「うめぇがすと」:うまいですという意味





 

No80 やくらいベごっこ祭り
・場所:やくらい高原特設会場 Yahoo地図
「薬莱山」の裾野に広がる草原で、地元産の和牛の焼肉が味わえます。絶好のロケーションを楽しみながら、炭火で熱した鉄板で焼く肉のうまさは格別。郷土芸能や歌謡ショーも行なわれます。

・開催日:平成27年は9月13日(日)





No81 食の文化祭(加美町秋まつり)

・場所:総合体育館(陶芸の里スポーツ公園)
・説明:食の文化祭・商工まつり・環境フェア・健康まつり・JA加美よつば秋まつり・地区文化協会文化祭など一堂に会し、加美町秋まつりを開催します。地元野菜を使った料理教室をはじめ、田舎料理などの無料試食あり。毎年、大抽選会終了後に2000個の餅まき大会も行われます。
・開催日:平成27年11月8日(日)



No82 雪合戦
・場 所:宮城県加美郡加美町字味ヶ袋やくらい原1−9 薬来高原特設会場
・説 明:2006年は2月4日〜5日
 



 

No83 小野田の田植えおどり
・場所:小野田
・説明:宮城県指定 民俗文化財 民俗芸能
 

写真パンフレットから
 

No84 柳沢の焼八幡
・日時:1月14日午後から15日早朝(火入れは0600)
・場所:宮城県加美郡加美町柳沢八幡神社
・内 容:600年の伝統を持つ火伏せ祈願の祭り
 14日の夕方に、八幡神社の前に12束のわらを束ねて作られた「トウロウ」に火をつけてその年の月々の天候を占い、15日の早朝には若者達が集落の家々を訪れて嫁や女性の顔にかまど墨を塗りつけて神の加護を願い、15日の朝方には八幡社の前で笹竹とわらで作った「オユヤ」(御小屋)を勢いよく燃やして当年の作柄を占う。
 この行事は、開始時期は不明であるが正月の神を迎えるとともに、火難除け、五穀豊穣、家内安全を祈願するきわめて貴重な小行事とされている。
・指定:県指定無形民俗文化財
・文参照:宮城県文化財保護課HP





嫁や女性の顔にかまど墨(へそび)を塗りつけて神の加護を願う



 

No85 小泉の水祝儀
・場所:加美町小泉集落
・説明:厄年払いと火伏せを祈願し、額に水の字を書き、集落内に水をかけ歩く。また、その年の新夫婦には、仲間入りのための儀式がある。


写真パンフレットから



No86 切込の裸カセドリ
 カセドリとは「火勢を止める」という意味
 旧宮崎町の切込集落に伝わる、旧暦1月15日の夜に行われる小正月の行事
 15才以上の男子が顔や体にヘソビ(竈墨)を塗り、裸で家々を訪問し、家人にヘソビをつけ、人々に水を浴びせられながら、「ホーホー」と声を上げて家々を訪問し、家人にも「へそび」を塗り付けて回る。
 宮城県指定 民俗文化財 風俗慣習



写真パンフレットから

 

No87 薬莱神社三輪流神楽
・場所:宮城県加美郡
・説明:宮城県指定 民俗文化財 民俗芸能

 
写真パンフレットから



No88 花楽小路商店街
・場所:加美郡加美町
・説明:
 


寅や


鈴木商店



 

No89 手づくり郷土(ふるさと)
「手づくり郷土(ふるさと)賞」とは地域の個性、魅力を創出している良質な社会資本を広く募集、発掘し、これを 全国に広く紹介することにより、社会資本整備にあたっての創意・工夫を促し、 個性あふれ活力のある地域づくりに資することを目的として、昭和61年度に創設された国土交通大臣表彰制度です。

 1988年(昭63年)並柳HOPE住宅の家並みとかいわい
・場所:加美郡加美町字赤塚190番地
・説明:風土、伝統、文化、歴史等を活かし、地域産業の活性化を図ることを目的として事業を実施した。
 瓦と漆喰(しっくい)と木で統一された家並み、露地空間、火の見櫓、干支を彫り込んだ門、枕木の歩道等創意工夫をこらしている。
 


火の見櫓、十二支門


集会所


ゴミ集積所


枕木の歩道、垣根


 1988年(昭63) 中新田緑地(あゆの里公園)
 ・場所:加美町 旧中新田住吉地内(鳴瀬川河川敷)
    プレート場所不明です
・説明:ふるさとに恵みを与える川 旧中新田町の野外グランド施設(テニスコート6面、サッカー兼ラグビー場、野球場2面、ソフトボール場)



 1988(昭63) さわざくら公園
・場所:加美町美郡中新田西田1-33
・説明:東北酒造の跡地に設けられた公園で、銘酒「沢桜」にちなんで名づけられました。
 
1.7haの広々とした公園内には、約60種8,500本の樹木が茂り、四季折々に美しい姿を見せてくれる。
 また、園内の一角に、中新田出身の墨絵画家、河合敏雄画伯の作品50数点を展示した墨絵美術館を併設。明治初期の農家家屋を利用した建物と味わい深い墨絵が調和し、静寂な空間を創り出している。
 
ツツジ、奥 藤棚


フジ(結構な古木)



フジ棚


さわざくら公園・墨絵美術館のトイレが
1888年全国グット・トイレベスト10に選ばれた。





No83 三猿
・庚申(こうしん)・(かのえさる)
 江戸時代の民間信仰の「庚申信仰」
 庚申とは干支(えと)、庚(かのえ)申(さる)の日を意味し、この夜に人間の体の中にいる三尸の虫が、寝ている間に体から脱け出して、天帝にその人間の行った悪行を告げ口に行く。
 天帝は寿命を司る神であるから、悪いことをした人に罰として寿命を縮める。
 ところが、三尸の虫は、人間が寝ている間にしか体から脱け出ることができないので、庚申日は、徹夜をすることを庚申待ちという。
 この庚申待に、青面金剛(仏教)または猿田彦大神(神道)を祀り、睡眠をささげて、一晩一心に願い続ければ如何なる願いも叶うとされている。

 「耳は人の非を聞かず,目は人の非を見ず,口は人の過を言わず」という天台宗の止観の空、仮、中の教えに基づくものといわれる。

・三猿(さんえん)見ざる、聞かざる、言わざる。三匹のものが多い。邪気を払う力があるという桃をもつものや、羽織を着たり、御幣をもつものなどがある。

 猿との関係は、諸説あります。
 庚申の「申(さる)」からきたもの
 庶民に身近な山王信仰との習合で、その使いである猿も取り入れられた、とするもの
 三尸に告げられないように「見ざる・聞かざる・言わざる」に由来するなどがある
 日光東照宮の三猿は 左から 聞かざる 言わざる 見ざるです。

山王神社の猿
・場所:宮城県加美郡加美町芋沢植村    Yahoo!地図
・説明:三猿 左から 言わざる 聞かざる 見ざる 言わざる
2013.05.18


三猿 左から 言わざる 聞かざる 見ざる 言わざる 2013.05.18




庚申塚
・場所:宮城県加美郡加美町南町 縄文芸術館脇 Yahoo!地図
・説明:三面六臂(ぴ)の青面金剛童士
  三猿 左から 言わざる 聞かざる 見ざる 言わざる
  1740年(元文5年)鈴木屋弥五郎、関屋十兵衛の両人が建立

2006.01.15


三猿 左から 言わざる 聞かざる 見ざる 言わざる



No82 薬莱山の姥神
・場所:宮城県加美郡加美町味ヶ袋    Yahoo!地図
・説明:薬來山の姥神は衣服も着けない上半身裸の像容
    ハサミが奉納:手芸上達の願をかける
    乳房にさわると母乳の出が良くなる。
2011.10.10




 No92 道祖神
・小泉 道祖神社 木製   加美町小泉


・鹿島神社境内 道祖神社


・神明神社の道祖神


・南鹿原の道祖神社


・正来院 石像陰 芋沢植村


・小野田 保室 石像


・宮崎 大森温泉 道祖神


・加美町交流施設 石棒


・加美町切込焼記念館 陶器製


・皆傳寺 双体道祖神 加美町上野目




No93 道標



旧宮崎町の追分石


宮崎北川内


雑式目



 
 

No94 (いわれつき)
 
鹿島神社 要石

県道267号(鳴子小野田線) 夜泣き石


飯豊(いいとよ)神社の大石


賀美石神社の神座石


平面の大石


伝八幡太郎義家公腰掛石




No95 手作り看板

 JA加美よつば青年部女性部小野田支部
マルホン餅菓子製造所近く 県道156沿い
・場所:宮城県加美郡加美町月崎宿浦長谷川 国道156号沿い Yahoo地図  
・平成27年度手作り看板宮城県コンクール:最優秀賞
「うまさにいちず 人生 目標 仲間 愛 感謝 夢 加美の米」
2016.03.02




 JA加美よつば青年部女性部小野田支部
・場所:
・平成27年度手作り看板宮城県コンクール:最優秀賞 
「目指せ テッペン 宮城魂 見せてやる」
2016.03.02




JA加美よつば青年部
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「僕たちの農業 金メダル」



・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「日本を耕す 田んぼの底力」




JA加美よつば青年部・女性部
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「加美の地で おいしく育った まなむすめ」



JA加美よつば青年部・女性部小野田支部
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「おかげさま おかげさま もったいない もったいない ありがたい ありがたい」



小野田町和牛の郷づくり推進協議会
小野田町・JAかみよつば農業協同組合
小野田町畜産農業協同組合
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「和牛の郷おのだ 広げよう牛飼いの輪」



JA加美よつば
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「奥羽山系ブナの者から贈り物」
「一番清水清流の里」「食味値日本一をめざして」

「JA加美よつば 清流米






JA加美よつば青年部・女性部 小野田支部
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「ごはん だいすき!」




JA加美よつば青年部・女性部小野田支部
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「うまい ご飯が一番」
2008.10.01





JA加美よつば青年部・女性部小野田支部
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「ごはん食べてる?」 2008.10.01




平成27年度手作り看板宮城県コンクール 出展
JA加美よつば青年部・女性部宮崎支部
 
宮崎支店営農経済課事務所
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「今日もおいしくいただきます」



平成27年度手作り看板宮城県コンクール 出展
JA加美よつば青年部・女性部中新田支部
 
営農センター西側道沿い
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
「やっぱり美味い日本の魂飯 おかわり!!」


二ツ石堰の水資源と環境を守る会
・場所:宮城県加美郡加美町 Yahoo地図  
 「すんな!(してはだめ)ゴミのポイ捨て」
2009.5.8





 

No96 街路灯
中新田墨絵記念館



















陶芸の里宮崎


柳沢の街頭


旧小野田町








大滝不動尊



 

No97 銅像
・場所:加美町北町
・説明:大崎家の始祖
 斯波 家兼(しば いえかね) (? - 1356年)
 南北朝時代の武将。斯波氏の一族。斯波家貞の子。斯波高経の弟。のちの大崎氏、最上氏の祖とされる。大崎直持、最上兼頼(山形城築城)の父。
 兄とともに足利尊氏に仕え、若狭守護を務めるなど北陸において活動し、兄と協力して新田義貞を滅ぼした。観応の擾乱の際には尊氏方に味方した。1354年に奥州管領に任命され、奥州に下向し、中新田城を拠点とした。前探題の吉良氏、畠山氏、石塔氏との対立を克服し、管領職(後の奥州探題)の世襲を確立したとされる。
 文参照:ウィキペディア
・制作:翁観二 平成元年
 2013.5.5




No98 橋の彫刻
宮崎大橋
・場所:宮城県加美町鳥屋ヶ崎
・説明:切込焼の陶磁器






澄川橋 
・場所:宮城県加美町切込
・説明:澄川に架かる橋 切込焼の陶磁器
 



志津橋
・場所:宮城県加美町
・説明:鮎と桜
 
 







水沼橋 
・場所:宮城県加美町
・説明:カモシカの彫刻
 
 




No99 彫刻  
加美町中新田交流センター
・場所:宮城県加美郡加美町下新田字松木3   Yahoo!地図
中村 ミナト(なかむら みなと)
・説明:1947−年 東京生まれ 
「CROSSOVER」
・1990年設置




加美町役場小野田支所
・場所:宮城県加美郡加美町字長檀   Yahoo!地図 
・説明:移動していました。
川岸 要吉(かわぎ しようきち)
・説明:1931−2003年 石川県穴水町生まれ 金沢大学教育学部卒 都賀田勇馬に師事
「みどり」
・1993年(平成5年)設置 町制施行50周年記念
旧場所



小野田体育館
・場所:宮城県加美郡加美町字長檀133 小野田体育館 Yahoo!地図
作者不明
「やくらいっこ像 融和 飛躍 希望」
・三村合併百周年記念 1989年(平成元年)設置
2013.5.21



中新田公民館
・場所:宮城県加美郡加美町一本杉105  Yahoo!地図
西村 祐一(にしむら ゆういち)
・説明:
「曙」
・年設置
2014.9.4



中新田文化会館/バッハホール
・場所:宮城県加美郡加美町一本杉101  Yahoo!地図 
佐々木 啓子(ささき けいこ)
・説明: −年
「わたし」
・年設置

小野田農山村多目的施設
・場所:宮城県加美町   小野田農山村多目的施設   Yahoo!地図
小林 晃一(こばやし こういち)
・説明:1957−年  埼玉県生まれ  黒川郡大和町に在住
    東京芸術大学美術学部彫刻科卒 東京芸術大学美術学部大学院彫刻科修了
    石彫作家として、全国の公園、病院、市役所など数々のモニュメントを制作
「」
・1996年設置

虎舞
作者不明
墨雪(ぼくせつ)墨絵(すみえ)美術館 


加美町役場




加美町消防団 第3分団第1部第4班ポンプ置場




No100 マンホール
町章→ 加美町

町花:水芭蕉、鳥:キジ、魚:アユ、木:ブナ、山:薬莱山


小型
 

(旧中新田)
中新田を中心にした地図
あゆの里を中心に
パリ、ニューヨーク、パシィヒックオーシャン、ペキン



水道栓蓋 十二方位が記載されている。卯と酉がない。
子丑寅辰巳午未申戌亥
青竜(せいりゅう)、朱雀(すざく)、白虎(びゃっこ)、玄武の四神(しじん)



旧小野田町
ブナ、やまどり、水芭蕉


 
旧宮崎町
陶芸の里みやざき 切込焼、はぎ、雉、赤松と松ぼっくり



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